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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)11105号 判決

原告

スターリング・ドラツグ・インコーボレーテツド

右代表者

デイヴイツド・ラツシユ

右訴訟代理人弁護士

原増司

外二名

右輔佐人弁理士

鈴木秀雄

被告

住友化学工業株式会社

右代表者

長谷川周重

被告

広栄化学工業株式会社

右代表者

野口悦夫

右両名訴訟代理人弁護士

石黒淳平

外二名

右輔佐人弁理士

朝日奈宗太

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一  当事者双方の申立〈略〉

第二  請求の原因

一、原告は、つぎの特許権を有する。

名称 3―X―4―オキソ―1、8―ナフチリジンの製造方法

出願 昭和三六年一二月三一日

優先権主張 一九六一年一月三日(アメリカ合衆国)

公告 昭和四〇年九月二〇日

登録 昭和四一年一月二九日

登録番号 第四六五三四六号

二、本件特許出願の願書に添付された明細書の特許請求の範囲第一、第三項の記載は、つぎのとおりである。

1  式―Y―Z〔ただしYは飽和炭素原子を介して環の窒素原子に結合しておりかつ1ないし10個の炭素原子を有する2価の脂肪族炭化水素基であり、Zは水素、ヒドロキシ、ハロ、カルボキシ、シアノ、低級アルコキシ、低級ペンジルオキシ、低級2級アミノ、低級ジアルキルアミノ、低級シクロアルキル、フエニル(未置換またはハロゲン置換)、ナフチルまたは3―X―4―オキソ―1、8―ナフチリジニル基(ただしXはカルボキシまたはカルブアルコキシ基)〕で表わされる有機基がナフチリジン核の1位の窒素原子に結合している分子構造を有する3―X―4―オキソ―1、8ナフチリジンまたはその塩の製造において、3―X―4―ヒドロキシ―1、8―ナフチリジンとアルキル化剤とを反応させて所望の1―置換基を与え、所望の場合には得られた酸性生成物の塩基との塩をつくるかあるいは得られた塩基性生成物の酸付加塩または第4級アンモニウム塩をつくることを特徴とする1―置換―3―X―4―オキソ―1、8―ナフチリジンの製造方法。

2  式―Y―Z〔ただしYは飽和炭素原子を介して環の窒素原子に結合しておりかつ1ないし10個の炭素原子を有する2価の脂肪族炭化水素基であり、Zは水素、ヒドロキシ、ハロ、カルボキシ、シアノ、低級アルコキシ、低級ベンジルオキシ、低級2級アミノ、低級ジアルキルアミノ、低級シクロアルキル、フエニル(未置換またはハロゲン置換)、ナフチルまたは3―カルボキシ―4―オキソ―1、8―ナフチリジニル基〕で表わされる有機基がナフチリジン核の1位の窒素原子に結合している分子構造を有する3―カルボキシ―4―オキソ―1、8―ナフチリジンまたはその塩の製造において、3―カルブアルコキシ―4―ヒドロキシ―1、8―ナフチリジンとアルキル化剤とを反応させて所望の1―置換基を与え、得られた3―カルブアルコキシ化合物を加水分解して相当する3―カルボキシ化合物にし、所望の場合には得られた酸性生成物の塩基との塩をつくるかあるいは得られた塩基性生成物の酸付加塩または第4級アンモニウム塩をつくることを特徴とする1―置換―3―カルボキシ―4―オキソ―1、8―ナフチリジンの製造方法。

三、本件特許発明中、特許請求の範囲第一項掲記の発明(以下「本件特許第一発明」という。)は、1―置換―3―X―4―オキソ―1、8―ナフチリジンの製造方法に関するものであり、また、同第三項掲記の発明(以下「本件特許第三発明」という。)は、1―置換―3―カルボキシ―4―オキソ―1、8―ナフチリジンの製造方法に関するものであるところ、右製造方法による目的物質に包含される1―エチル―7―メチル―4―オキソ―1、8―ナフチリジン―3―カルボン酸(その製法は、本件特許発明の明細書中に実施例1として開示されている。)は、次のとおりの構造式を有するものであつて、本件特許出願について主張した優先権の基礎となつた最初に特許出願をした国であるアメリカ合衆国における出願日である一九六一年一月三日当時日本国内において公然知られたものではなかつた。

四、被告広栄化学工業株式会社(以下「被告広栄化学」という。)は、業としてナリジクス酸の名称で別紙物件目録記載の薬品(以下「本件薬品」という。)、すなわち1―エチル―7―メチル―4―オキソ―1、8―ナフチリジン―3―カルボン酸を製造のうえ、被告住友化学工業株式会社(以下「被告住友化学」という。)に販売しようとし、また、被告住友化学は、業としてこれを販売しようとしている。

五、本件薬品は、右に述べたところから明らかなように、本件特許第一及び第三発明の方法により製造される物質(以下本件特許第一発明により製造される物質を「本件特許第一物質」ともいい、本件特許第三発明により製造される物質を「本件特許第三物質」ともいう。)に含まれる物質であるから、特許法第一〇四条により本件特許第一発明の方法または本件特許第三発明の方法により製造されたものと推定される。〈以下省略〉

理由

一原告が本件特許権を有すること、本件特許明細書の特許請求の範囲第一項及び第三項の記載が原告主張のとおりであること、本件特許発明のうちの、本件特許第一発明が本件特許第一物質の製造方法に関するものであり、また、本件特許第三発明が本件特許第三物質の製造方法に関するものであること及び被告広栄化学が業としてナリジクス酸の名称で本件薬品すなわち1―エチル―7―メチル―4―オキソ―1、8―ナフチリジン―3―カルボン酸を製造のうえ被告住友化学に販売しようとし、また、被告住友化学が業としてこれを販売しようとしていることは当事者間に争いがない。

二ところで原告は、1―エチル―7―メチル―4―オキソ―1、8―ナフチリジン―3―カルボン酸は新規物質であり、本件特許第一物質及び本件特許第三物質に含まれるものであるところ、本件薬品も1―エチル―7―メチル―4―オキソ―1、8―ナフチリジン―3―カルボン酸であり、従つて本件薬品は本件特許第一発明及び本件特許第三発明の方法によつて製造されたものと推定されると主張するのに対し、被告らは、本件薬品が本件特許第一物質及び本件特許第三物質中に包含されるものであることを否定し抗争するので、以下この点について検討すると、前記本件特許明細書の特許請求の範囲第一項及び第三項の記載によれば、本件特許第一物質ないし本件特許第三物質は、1―置換―3―X―4―オキソ―1、8―ナフチリジンないし1―置換―3―カルボキシ―4―オキソ―1、8―ナフチリジンと表示され、そのナフチリジン核の7の位置はもとより、2、5及び6の位置についての置換基に関する積極的な記載がないことが認められる。

特許発明の技術的範囲は、願書に添附した明細書の特許請求の範囲に基づいて定めなければならないところ(特許法第七〇条参照)、明細書の特許請求の範囲中に記載のないものは、その記載がなくても特許請求の範囲の記載自体から記載が省略されていることが当事者であれば誰がこれを見ても分るような場合は(例えば、ベンゼン核におけるC及びHの省略のような)別として、その記載があるものとして、それによつて特許発明の技術的範囲を定めることはできないものといわなければならない。特許発明の技術的範囲を定めるに当つて明細書の発明の詳細な説明の項が参酌され得ることがあることは否定できないが、それはあくまでも特許請求の範囲自体では特許発明の技術的範囲を画然とは定め難い場合についてのことであつて、発明の詳細な説明の項に記載されているからといつて、その記載を参酌して、特許請求の範囲に記載がなくても、当然記載されてあるものとして特許発明の技術的範囲を定めることはできないのはもちろん、特許出願の審査の経過その他から出願人自身の意思を探求して、特許請求の範囲に記載のない事項を記載されているものと解釈することも許されないものといわなければならない。

右の点を本件についてみてみると、本件特許明細書の特許請求の範囲第一項及び第三項には、その目的物質につき、ナフチリジン核の2、5、6及び7の位置に置換基がある旨の記載がないことは前記のとおりであるところ、〈証拠〉を総合すると、本件特許出願に関しては次のような事実が存在したことが認められる。すなわち、原告の本件特許出願当時の明細書の特許請求の範囲第一項には、「相当する3―X―4―ヒドロキシ―1、8―ナフチリジンにアルキル化剤を反応させて所望の1―置換基を与え、望むならば、ナフチリジン核のXあるいは2、5、6、及び7置換基のいずれか任意の基を所望の置換基に変えるかあるいはX以外のカルボキシ置換基を脱カルボキシル化し、更に望むならば、酸性生成物の塩基との塩あるいは塩基性生成物の酸付加塩あるいは第四アンモニウム塩を得ることを包含する、有機性基炭素原子数18個以内で、分子量700以下である有機性基がその飽和炭素原子を経由してナフチリジン核の1―窒素原子に結合しているところの、3―X―4―オキソ―1、8―ナフチリジン(但し、Xは、カルボキシ基あるいは水解されてカルボキシ基に変わりうる基あるいはそれらの塩を表わす)の製造方法。」と、また、同第三項には、「相当する3―X―4―ヒドロキシ―1、8―ナフチリジンと強酸のアルキルエナテルとを反応さすことを包含する、式1(省略、但し本件特許公報記載の式(Ⅰ)と同じ。)(但し式中、Xはカルボキシ基あるいはアルキルカルボキシレート基を表わし、Y―Zはアルキル基を表わし、Qは7―メチル基あるいは7―スチリル基を表わし、アルキル基の炭素原子数は1ないし10とする)を有する化合物あるいはそれらの塩の製造方法。」とあり、発明の方法により製造される目的物質である1、8―ナフチリジン化合物は、その2、5、6及び7の位置の任意の位置に任意の置換基Qを有するか、あるいはその7の位置にメチル基等を有することが記載されていた。それにもかかわらず、最終的に本件特許明細書における特許請求の範囲の記載が前記のように変わり、本件特許第一物質ないし本件特許第三物質の表現に関し置換基Qないしメチル基等の記載がなくなつたのは、つぎの経緯によるものである。

すなわち、原告は本件特許出願当初の明細書における特許請求の範囲の記載を、昭和三七年二月七日の補正により、第一項につき内容に変更をもたらさない程度の字句の訂正をし、その後審査官から昭和三八年九月二六日付拒絶理由通知書をもつて前記特許請求の範囲第一項における「望むなら」以下に記載されている方法は本願発明の構成に欠くことができない事項とは認められないから削除する必要があり、また、前記第三項記載の方法は第一項記載の方法における原料化合物のうちの特定のものを選択した場合に該当するから特定発明の実施の態様にすぎず、したがつて、特定発明と別個の発明を構成しないものと認められる等の指摘がなされたので、昭和三九年二月八日の補正により、置換基Qないし7―メチル基等に関する記載を発明の詳細な説明中にはなお残したものの、特許請求の範囲中からは削除したうえ、第一項が、Z及びXの定義につき若干の差異があるだけで、前記最終の第一項と殆んど同じ記載に、また第三項が、Zの定義につき若干の差異があり、ひいては、これに関連する点にも若干の差異があるだけで、前記最終の第三項と殆んど同じ記載に訂正したところ、再び審査官から同年五月七日付拒絶理由通知書をもつて不備の点の指摘がなされたので、同年九月一九日の補正により、第一項及び第三項とも前記最終のそれと極めて近似する記載に訂正するに至つた。

ところが、審査官は、このような原告の補正により訂正された明細書につき重ねて昭和四〇年二月一八日付拒絶理由通知書をもつて、特許請求の範囲中に置換基Qに相当する記載が見られない点を含む一〇点に関し、特許請求の範囲中に記載されている技術内容と発明の詳細な説明中に記載されているそれとに不一致がある等の指摘をしたところ、原告は、同年七月二日明細書を重ねて補正し、特許請求の範囲の記載を最終のそれである本件特許公報記載のものに訂正するとともに、指摘された前記置換基Qに関する点については、同日付意見書をもつて「本願が新規物質の製造方法に関しているので、広範囲に保護さるべきことに注意すべきである。」との意見を具申したに止つた。

すると、本件特許出願については、もはや拒絶の理由が発見されないとして昭和四〇年八月四日出願公告の決定がなされ、ついで、同年一二月二一日特許査定がなされるに至つた。

右のように認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定のように、審査官が、「望むならば」の書出しで置換基Qに関する記載をしていた旧特許請求の範囲の記載に対し拒絶理由通知書をもつて右「望むなら」以下に記載されている方法は本願発明の構成に欠くことができない事項とは認められない云々の指摘をしたことは、置換基Qのある化合物とない化合物とは異なる化合物であるから、置換基Qに関する記載が「望むなら」といつたような中途半端な条件の下における記載であつた以上、特許請求の範囲に記載すべき発明の構成に欠くことができない事項とは認められないから、けだし当然のことであり、また、原告が特許請求の範囲中から置換基Qに関する記載を削除したことにつき、審査官が発明の詳細な説明中にその記載があるにかかわらず特許請求の範囲中に記載がないとして、拒絶理由通知をしたものの、原告から「本願が新規物質の製造方法に関しているので、広範囲に保護さるべきことに注意すべきである。」との意見が述べられると、この点に関してはそれで拒絶の理由が見当らないとして扱い、出願公告をすべき旨の決定をしたことは、けだし、原告が特許請求の範囲から置換基Qに関する記載を削除したのはせいぜい発明の一部について、特許権の付与を求める意思を放棄したものとして取り扱えば足りるわけであるから、審査官はそのことだけでは拒絶理由には当らないものと考えたとみることもでき、そうみれば、審査官がその後置換基Qに関する補正もないまま出願公告すべき旨の決定をしたことも別に異とするには足らない。

右のとおりであるから、審査官の置換基Qに関する指摘に対し格別の補正がなされないにもかかわらず、出願につき公告決定が受けられたからといつて、本件特許第一物質が任意の置換基Qを有する1、8―ナフチリジン化合物を包含するものということはできない。

また、本件特許出願の当初における明細書の特許請求の範囲の記載からみて、原告は、本件特許出願に当りナフチリジン核の2、5、6及び7の位置の任意の位置に任意の置換基Qを有する1、8―ナフチリジン化合物ないしナフチリジン核の7の位置にメチル基等を有する1、8―ナフチリジン化合物の製造方法につき特許権の付与を求める意思を有していたものと明らかに認めることができるところ、原告のこのような意思が、その後の前認定特許請求の範囲の記載から右置換基Qないし7―メチル基等に関する記載を削除した補正にもかかわらず、依然原告のいうように変らなかつたであろうことは、右補正に原因を与えたとみられる前認定審査官の昭和三八年九月二六日付拒絶理由通知書による指摘の内容及び前認定原告が昭和四〇年二月一八日付拒絶理由通知書をもつて審査官から受けた特許請求の範囲中に置換基Qについての記載がないことに関する指摘に対し同年七月二日付意見書をもつて具申した意見の内容、加えて、明細書の発明の詳細な説明中に置換基Qないし7―メチル基等に関する記載を残していたこと等に照らし推認できないではない。しかしながら、このような特許出願人の主観的意図のごときは本件の場合においては到底参酌することができないものであることは前に説明したところから明らかである。

ところで、本件特許明細書の特許請求の範囲第一項及び第三項によれば、本件特許第一物質及び本件特許第三物質については、その1、8―ナフチリジン核の1、3及び4の位置に置換基を有する旨の記載があるが、2、5、6及び7の位置に置換基を有する旨の記載がしてないのであるから、本件特許第一物質及び本件特許第三物質は、そのナフチリジン核の2、5、6及び7の位置にある炭素原子に水素が結合し、水素原子に代わる置換基を結合していない化合物を指しているものと理解するのが普通の理解の仕方であり、これが環式化合物についての原則的命名法として広く承認されているところにも適つた理解の仕方である。したがつて、原告の主張するように、本件特許第一物質ないし本件特許第三物質が、そのナフチリジン核の2、5、6及び7の位置に任意の置換基Qを有する化合物ないし7の位置にメチル基等を有する化合物をも含むというのであれば、右置換基Qないしメチル基等の記載は、本件特許請求の範囲の記載から省略されているものと理解しなければならないのは当然であるが、置換基Qが存在することを明確に示す表現方法があるにもかかわらず、特許請求の範囲の記載に当り、このような省略をして1、8―ナフチリジンと表示しただけで、省略にかかる置換基Qないしメチル基を有する1、8―ナフチリジンであると理解することができるのであろうか。なるほど、〈証拠〉によれば、大有機化学と題する化学書に「1、8―ナフチリジンは1、5―ナフチリジンに似ている。」と記載され、以下に1、8―ナフチリジンの核の置換基の反応性についての説明が記載されていることが認められ、右記載にいう1、8―ナフチリジンの語は、1、8―ナフチリジン化合物類の一般的総称として用いられていることを否定し得ないが、それは、あくまでも1、8―ナフチリジン核の置換基の反応性を説明する関係上そうならざるを得なかつただけのことであり、右記載をもつて1、8―ナフチリジン化合物の命名の場合にもナフチリジン核にある置換基が一般に省略されていることを物語つているものとは認め難い。なお、1、8―ナフチリジン以外の化合物の命名の方法をもつて1、8―ナフチリジンの命名法を律することができないことはいうまでもないことであるが、〈証拠〉によつても、化学者の手になる文献上、フエノールはさておき、原告のいうイソキサゾール、オキサゾール、ピラゾール、ピリジンの語が明らかにあらゆる置換基を有する化合物類の総称として使用されているものとは認め難いし、また、〈証拠〉によつても、特許公報上、原告のいう一般式とともに記載されている3―アミノ―4―シアノ―ピラゾールの語は、そこに記載されていない置換基をも含む化合物の名称として使用されているものではないし、また、4―ヒドロキシ―1、8―ナフチリジン―3―カルボン酸またはそのエステルの語も、その前後に続く文章との関連からみて、あらゆる置換基を含む化合物の総称として使用されているものではないことがうかがわれる。そうすると、1、8―ナフチリジン化合物の命名に当り、ナフチリジン核にある任意の置換基を適宜省略する方法が一般に承認されて行われていることを認めるに足りる資料は見当らないことになるから、本件特許請求の範囲の記載を見て、そこに記載されている本件特許第一物質ないし本件特許第三物質が、そのナフチリジン核の2、5、6及び7の位置のうちの任意の位置に任意の置換基Qを有する化合物ないし7の位置にメチル基等を有する化合物までも含むものとして表示されているかもしれないとの疑いを抱くような者が現われるとは考え難い。もつとも、特許請求の範囲に記載する化学物質については、必要にしてかつ十分なだけの記載をすれば足りるから、特段の事情があるときには、前記環式化合物についての命名法として広く承認されるに至つている方法と異なつた化学の文献上にしばしば見受けられるような必要に応じてなされたところの省略による記載も全然許されないわけではあるまいが、本件特許第一発明の方法及び本件特許第三発明の方法を記載するに当り、原告のいうような範囲及び位置が限定されない置換基、あるいは、反応の前後を通じ変化しない置換基の特許請求の範囲への記載を省略して差支えないような特段の事情は見当らない。けだし、1、8―ナフチリジン化合物を特定記述するに当り、置換基の範囲及び位置が限定されないことやこれら置換基群を逐一記載すると化合物の表示が極めて複雑になることを理由にその記載の省略を許すことは、化合物を特定記述することを放棄する思想につながるものであつて到底許されないことであるし、また、本件特許発明の方法においてある置換基が反応の前後を通じ変化するかしないかというようなことを促えて当該置換基の記載を省略し得る根拠とし得ないことも明らかである。

そうすると、本件特許第一物質及び本件特許第三物質は、本件特許明細書の特許請求の範囲の記載自体から本件薬品のように1、8―ナフチリジン核の7の位置に置換基を有する化合物を含むものでないことが極めて明らかであるから、たとえ、発明の詳細な説明中の随所に本件特許発明の方法を実施して製造することのできる目的物質としてナフチリジン核の7の位置にメチル基等任意の置換基Qを有する1、8―ナフチリジン化合物の多数が例示されているとしても、これらの記載を援用し、本件特許第一物質及び本件特許第三物質をもつてナフチリジン核の7の位置に任意の置換基を有する1、8―ナフチリジン化合物をも含むとの拡大解釈につながるような解釈をすることはできない。

三以上の次第で、本件薬品が本件特許第一発明の方法により製造される目的物質である本件特許第一物質ないし本件特許第三発明の方法により製造される目的物質である本件特許第三物質中に包含されることを認めるに足りる証拠は見当らないから、本件薬品をもつて本件特許第一発明の方法ないし本件特許第三発明の方法により生産されたものと推定することはできないところ、他に、本件薬品が本件特許発明の方法により生産されたものであることを肯定し得るに足りる証拠はない。

四よつて、本件薬品が本件特許発明の方法により生産されていることを前提として原告が被告らに対してする本訴請求は、理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(高林克巳 清水利亮 小酒禮)

物件目録〈省略〉

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